IAMAS Graduate Interviews

INTERVIEW 039

INTERVIEWER 赤羽亨 IAMAS教授
#2025#AKABANE KYO#EXHIBITION#MEDIA ART

GRADUATE

鹿島田知也

キュレーター?エンジニア/2009年修了

展覧会をつくり続ける—オールラウンダーかつ、スペシャリストであるということ

2025年8月8日からNTTインターコミュニケーション?センター [ICC] にて開催中のICCキッズ?プログラム2025「みくすとりありてぃーず——まよいの森とキミのコンパス」。作家たちが表現した「複合的な現実」(Mixed Reality)を体感する本展覧会のキュレーションをしているのは、ICC学芸員の鹿島田知也さん。出展アーティストとして、会場設営のテクニシャンとして、展覧会に複数の立場からアプローチしてきた経歴をもつ鹿島田さんが考える、展覧会のあり方とは。本展覧会で共同キュレーターを務める赤羽亨教授が聞きました。

美大からIAMASへ

赤羽:僕と鹿島田さんは「みくすとりありてぃーず」(2025年8月8日?9月15日)という展覧会を共同キュレーションしています。鹿島田さんはその会場のNTTインターコミュニケーション?センター[ICC]に勤めていて、主に「キッズ?プログラム」展のキュレーションを担当しています。
この「IAMAS Graduate Interviews」ではIAMAS卒業生の様々な進路をインタビューしていますが、鹿島田さんがIAMASに入るきっかけから教えてくれますか? ?

鹿島田:IAMASの前は、多摩美術大学の情報デザイン学科情報芸術コースに通っていました。卒業制作では、人間よりも大きなサイズの球をつくって、それを転がすというアートプロジェクトに取り組んでいました。担当指導教官は三上晴子さんで、ICCでも個展「三上晴子 欲望のコード」(2011年10月22日?12月18日)や追悼イベント(2015年3月8日)が開かれた有名なアーティストで、卒業後もご縁が続いています。ただ僕が4年生の時に三上さんは、ベルリンに滞在されていたので、卒業制作の直接指導にあたってくださったのは久保田晃弘さんでした。

赤羽:そこからIAMASへ入学した経緯は?

鹿島田: 大学院に進学したいと思っていて、多摩美もトライしたんですが、最終的に冬の入試でIAMASにアプライすることになりました。たまたま、4年生の夏休みの旅行中に友達とIAMASにいる友達の先輩を訪ねて、IAMASが面白い制作環境だと知っていたので。

赤羽:東京からIAMASに来て、生活の変化とかありました?

鹿島田:いまは違うかもしれませんが、旧校舎時代、学生たちはほぼロフトに住んでいました。特に、僕の学年は女性がひとりもいなかったので、似たような関心をもつ仲間とずっと部室にこもって共同生活するような日々でした。同級生には、作曲家の西郷憲一郎くんやメディアアーティストの菅野創くんとかがいて、刺激的でしたね。
菅野創くんとは2年間、デスクが隣り合わせだったこともあり、それぞれがもっているパーツをシェアしたり、雑談しながら意見交換していましたね。振り返ると、菅野くんは自分の関心を広げてくれていたように思います。本格的に電子工作に取り組むようになったのもIAMASに入ってからで、環境や周囲に影響されて、興味の方向も変わっていったような気がします。

赤羽:指導方針も学部生だった時とは違う感じでしたか。

鹿島田:そうですね。特に僕が学生だった頃は、自分のやりたいことや、そのための表現手法を各々が追求することが評価されていたように思います。でも、IAMASは、制作と共に論文が求められるので、「なぜ、それをつくるのか」を突き詰めることがより重視されます。単純なことでも、「なぜ」を考える習慣がIAMASで身につきました。

赤羽:なるほどね。だからIAMASの卒業生は、制作から離れても、制作で培った思考方法をバネに、いろんな世界で活躍しているのかもしれない。
具体的にはIAMASで、どんなことをされていましたか。当時、IAMASの修士課程は複数の教員が指導するスタジオを選ぶスタイルだったけど、どこのスタジオに所属していたかな。

鹿島田:スタジオ1(インタラクティヴメディア)に所属していました。1年目はユビキタスの技術を使ってプロトタイプをつくったり、センサーやアクチュエーターを触りながら、どういう動きや表現ができるのかを学びました。
そこから卒業研究では、カラーセンサーが搭載されたクリップ型のデバイス「inClip」を開発しました。物がもつ色情報を「挟む」という行動で検知して、その色情報にアプリケーションの機能やパスワードを関連付けると同時に、挟んだ物を登録したり、登録した情報を閲覧したりすることのできるシステムを考案しました。例えば、ディスプレイの端にクリップを挟むと、ディスプレイの色を検知したクリップがプログラムを起動して、クリップを離すと、ディスプレイ上に自分の仕事環境が立ち上がるというような、クリップをトリガーに新しい体験や状態を生み出すことを意図していました。ただ、実際には思ったような精度がなかなか出ず、難しい部分もありました。クリップにゴムを敷いて隙間を減らすなど、工夫できることはまだまだあったなと思いますね。

IAMASの修了制作「inClip」(2009)

作品制作から展覧会制作の現場へ

赤羽: ?卒業後の活動について教えてください。

鹿島田:卒業した年に、キュレーターの四方幸子さんから多摩美の同級生の森浩一郎くんに依頼があり、デザイナーの伊勢尚生くんと僕の3人で「Pachube@ミッション G」という作品を制作して、ICCの「オープン?スペース」(2009年)に1年間展示する機会を得ました。その後、特に就職活動はせず、IAMASのプロジェクトの研究補助員などをしていたのですが、自分達の作品の撤去と同時に展覧会の撤収作業を手伝ったことがきっかけで、翌年、ICCのテクニカルスタッフとして声をかけてもらいました。

赤羽:ICCとはアーティストとして関わったのが最初だったんだね。そこからテクニカルスタッフを経て、キュレーターになるまで、ICCでのキャリアはどうやって積んだの?

鹿島田:最初は展示作品のインストールやメンテナンス作業がメインで、徐々にキュレーターとしての役割を担うようになりました。僕がICCに入った年には、ウェブ?プロジェクトという企画もあって、役職や立場関係なくみんなにアイディアを募っていたので、自分の興味ある企画を提案してみたんです。それで実現したのが「Twitterの中のわたし─自分がつくるじぶんをつくるアーキテクチャ」(2011年2月3日?3月31日)でした。当時IAMASの学長だった関口敦仁さんや情報環境研究者の濱野智史さんなど多くの方へのインタビューを軸に、徳井直生さんと田所淳さんを講師にお招きした2日間にわたるワークショップも開き、ウェブ?コンテンツとしてまとめました。ちょうどTwitterが日本でユーザー数を増やしていた時期で、Twitterやwebサービスのアーキテクチャが、社会や自分達のアイデンティティにどんな影響を与えているのか、思考と実践とを行った企画でした。それ以降、ICCの開館当初からキュレーターとして活躍していた畠中実さんから技術者としてだけでなく、企画も考えられるやつだと認識してもらえるようになったんだと思います(笑)。
ICCの展覧会活動はアニュアル展の「オープン?スペース」、夏の「キッズ?プログラム」展、冬の企画展の3本柱で、僕は2013年から「キッズ?プログラム」展を担当させてもらえるようになったのですが、最初に担当したのは「オープン?スペース」展のなかの「研究開発コーナー」でした。研究機関による成果を展示にするプログラムで、研究室の選定やテーマ設定、会場設計まで、継続して担当してきました。2011年に「IAMASサーフェイス?インターフェイス?デザイン?プロジェクト」(2011年10月22日?2012年3月8日)を担当し、そこから、多摩美術大学×東京大学 ARTSAT:衛星芸術プロジェクト「ARTSAT:イントロダクション」(2012年5月26日?2013年3月3日)、metaPhorest(早稲田大学生命美学プラットフォーム)「生命美学オープンラボ」(2013年5月25日?2014年3月2日)、慶應義塾大学 筧康明研究室「HABILITATE」(2014年6月21日?2015年3月8日)、IAMAS「車輪の再発明プロジェクト」(2015年5月23日~2016年3月6日)、明治大学渡邊恵太研究室の「インタラクションの現象学 人間の輪郭、世界体験の変容」(2016年5月28日?2017年3月12日)を担当してきました。コーナーとはいえ、学生さんみんなの作品を発表する場にしたいという要望もあり、展示替えも頻繁で、タイトな制作期間で展覧会を制作するという経験を積みました。

多摩美術大学×東京大学 ARTSAT:衛星芸術プロジェクト「ARTSAT:イントロダクション」(撮影:木奥恵三、写真提供:NTTインターコミュニケーション?センター [ICC])

metaPhorest(早稲田大学生命美学プラットフォーム)「生命美学オープンラボ」(撮影:木奥恵三、写真提供:NTTインターコミュニケーション?センター [ICC])

赤羽:キュレーションには、アシスタントという立場から関わり始めたの?

鹿島田:そうとも言えると思うのですが、やってきたことを考えるとそうとも限らないのかなと思います。当時、テクニカルスタッフとしてすべての展覧会をサポートしていましたし、研究開発コーナーのように限定的にはキュレーターの仕事もしていたと言えると思います。なので、言うなればキュレーションのアシスタントというより、ICCでの活動全般のアシスタントという感じでしょうか。
展覧会をつくる上でのキュレーターの仕事のひとつが、作家さんへファーストコンタクトをとることだとすると、最初にキュレーターとして僕が担当したのはIAMASの赤松正行さんによる「ICC キッズ?プログラム 2013もの みる うごく AR美術館 赤松正行+ARARTプロジェクト」(2013年7月30日?9月1日)です。赤松さんが都内でしていた展示を見に行って、興味を惹かれてお声がけしたんです。そうしたら畠中さんに「声をかけたんだったら、企画したら?」と言われて。それがきっかけで2017年までのキッズ?プログラムは、僕がキュレーターとして担当させてもらいました。
そんな感じで、テクニカルスタッフとキュレーターの立場も兼任しながら、自分のできることをいろいろとやらせてもらっていました。なのに、2018年には雇用契約の関係で、一度辞めるという決断をすることになったのですが。

赤羽:ICCを辞めた後は何をしていたの?

鹿島田:3年間、職業プログラマーとして会社勤めしていました。ICCでテクニカルスタッフとして一緒に働いていた方が誘ってくださったソフトウェア開発をメインとする会社です。IAMAS時代からProcessingというJavaをベースとしたプログラミングは行っていたものの、プロのプログラマーとはほど遠く、入社してプロとして働きながら、プロとしての技術を学びました。
そうこうして一応、プログラムを組めるようにはなったものの、元々の興味である芸術やICCの世界はやっぱり楽しいですし、そのチャンスがあるなら戻りたいと思っていました。そんな折、畠中さんからまた声をかけてもらい、2021年に戻ってくることができました。

展覧会も、作品のひとつ

赤羽:戻ってからの仕事はどう??

鹿島田:復職した時は、学芸アシスタントとテクニカルスタッフという、辞める前と同じ立場で戻りましたが、3年間のブランクがあったので、技術者寄りの仕事から再出発しました。2023年までは学芸チームの一員としてすべての展覧会に関わり、2024年から自分の名前が表に出る形で展覧会を担当できるようになりましたね。

赤羽:いま、一緒に「みくすとりありてぃーず」で仕事をしてみて、鹿島田さんはテクノロジーをわかった上でのキュレーションや会場設計ができるのが強みだと感じました。
今回の展覧会は、VRやARなどの仮想現実と現実社会を重ね合わせる技術をテーマにしていて、目に見える重ね合わせではなく、音での重ね合わせをいろんな作家さんに試みてもらっている。そこに、AR技術を活用した音声ガイド「AR Audio Guide」を取り入れていくからさらに空間は複雑になるんだけど、こういう展示空間における新しい技法としての挑戦をそれぞれの作家さんにきちんと説明して、どうやってそれぞれの展示に音声ガイドを組み合わせていくかの提案まで、鹿島田さんはひとりでできてしまう。本当に稀有な存在だと思う。

鹿島田: ありがとうございます。強みについては本当におっしゃる通りで、自分が作品制作してきたからこそ、どれだけ制作や変更が大変かというのも理解しているし、作品に対してのアドバイスの許容範囲が作家ごとに違うということもわかっているつもりです。だから、作家が作品で表現していることを理解した上で、ICCで必要な展示クオリティをお伝えし、作品をどうよりよく見せていくことができるかの具体的提案や可能なサポートについても技術者としてお話しできます。

赤羽:いろんな展示の経験も積んで、だいぶ責任や権限ももっている印象を受けたよ。今回の展示は集大成っていう感じですか?

鹿島田:集大成で間違いないと思うんですけど、毎回、集大成なのかもしれません(笑)。
僕は展覧会をある意味で自分の作品と捉えていて、毎回、テーマを設定することから始めます。作家や作品を単に寄せ集めるのではなく、テーマに沿って展覧会を構成し、そのテーマを伝えるために作家さんに協力もしてもらいます。もう一度、同じものをつくれるかと言ったら簡単ではないし、その時々の関心やネットワークを駆使して出来上がっていくのが展覧会です。僕は、その時々に自身の気になったことを、その時々の人や環境や状況でもって表現してきました。時には、テクニカルスタッフであったり、エンジニアであったり、いまはそれがキュレーターなんだと思います。
僕のいまの仕事は展示の仕方やキャプションでアーティストの仕事の解釈を表現することだから、キッズ?プログラムでも、子ども向けに特別なことをしようとしているわけではなくて、むしろ、子どもでも体験しやすいように展示方法を考案する仕事こそ、自分のやりたいことなんだと思っています。

赤羽:今後は、どういったことをやっていきたいと思う? ?

鹿島田:同じようなことを続けていけたら幸せだと思います。その時々の役回りは違っても、自分なりに精一杯で関わって、自分が納得できるものをつくり上げる活動を続けていきたいです。

取材: 2025/07/08  NTTインターコミュニケーション?センター[ICC]

編集: 服部真吏 / 写真: 丸尾隆一

PROFILE

GRADUATE

鹿島田知也

キュレーター?エンジニア/2009年修了

1982年、東京生まれ。多摩美術大学卒業、中国福彩app官方下载[IAMAS]修了。2010年からNTTインターコミュニケーション?センター[ICC]にスタッフとして関わり始める。その時々に自身の気になったことを、その時々の人や環境や状況でもって表現してきた。それがキュレーターという立場なら展覧会で、エンジニアならシステム開発で、個人なら遊びで。おもしろいことを教えてください、おもしろいことをやりましょう!

 



INTERVIEWER

赤羽亨

IAMAS教授

インタラクションデザインに焦点をあてて、メディアテクノロジーを使った表現についての研究を行っている。また、メディア表現を扱ったワークショップ開発や、その内容を共有するためのアーカイブ手法の研究にも取り組んでいる。主な活動に、「メディア芸術表現基礎ワークショップ」(文化庁メディア芸術人材育成支援事業)「3D スキャニング技術を用いたインタラクティブアートの時空間アーカイブ」(科研費 挑戦的萌芽研究)がある。